また、ロシアの華が咲いた
EURO2004でファイナルにギリシャが来るとは思わなかったように、ウィンブルドンでマリア・シャラポワがファイナルに進むなんて!そして、感動のフィナーレ!!
怖いものなどない。私はまだ17歳
天は、ベッカムに二物を与えたように、シャラポワにも二物を与えた。
いや、苦しい試練に耐え、強い精神力を持って、勝ち残った選手のルックスが、たまたま美しいかっただけの話しなんでしょうけど。
TVをつけたとき、美しいシャラポアが映った。セレナとの決勝戦。どう考えてもセレナ優勢のはずが、スコアは逆だった。
アンドロイドのようにきりっとした顔立ちを崩さず、冷静に力強くプレーをするシャラポアに息を呑んだ。
セレナの顔には、悔しさというよりは既に諦めの色が。
優勝が決まった瞬間、崩れるようにコートに座り込み、満面の笑みとガッツポーズ!
そして立ち上がり、観客席の父親を探す。見つけるや否や、観客席に飛び込み、人を掻き分け、階段を上りだす、観客席の父親も懸命に娘に会おうと席を立つ。
周りの観客も父と娘のために席をあけたり、避けたりして、親子の再会に力を貸す。
そして、ついに、17歳のチャンピオンと父の情熱的な抱擁。キスの嵐である。観客からも大きな拍手。
そんな様子をセレナは、椅子に座り温かく見守っていた。
理由
シャラポワに胸騒ぎ…183センチ、59キロ現役女子高生(ZAKZAK)
4歳で父親の指導でテニスを始めたシャラポワは6歳のとき、モスクワで行われたイベントでナブラチロワに認められる。翌年、家族とマイアミに渡ったが、両親がビザの不備を理由に入国を拒否され、9歳で再会するまで、米国で一人頑張ったエピソードを持つ。
ナブラチロワに認められるってのは凄いのではないでしょうか。そして7歳から9歳までの間、テニスのために一人暮らしとは。自然と絆は厚くなるのでしょう。
極寒のシベリア地方で生まれた。父ユーリさんは、仕事を求め転々とした。86年チェルノブイリ原発事故の影響で、家族は黒海沿岸のソチに移住した。「家族は、これまで私のために多くの犠牲を払ってきた。いい時も、悪い時もそばにいた」。優勝の瞬間、関係者席にいた父に駆け寄り、しっかりと抱き合った。
チェルノブイリってのも悲劇。苦難の末のチャンピオンであることがうかがい知れます。
ママにも電話
観客席で父との抱擁を終えてから、シャラポアはコートに戻った。
祝福の観客の拍手には、投げキッスで応える。
しかし、しばらくしてまた、そわそわと、あたりを見回した。
そして、また観客席まで行き、父からポンと何かを受け取った。
ケータイである。ケータイでママに電話しようというのだ。
観客からも戸惑いの笑い、そんなことも気にせず、何度も架けるが繋がらない様子。ついに諦め、セレモニーが始まった。
チャンピオンズ・スピーチでは、「このパイ(優勝プレート)を割って、助けてくれたみんなに分けてあげたい」と、本当ににうれしそうに話したのが印象的だった。
また、「これ(優勝プレート)はセレナからしばらく借りたもの」とも言っていた。自分でも信じられない結果だったのだ。
試合中の厳しい表情とは正反対の、優勝後のはじけた笑顔、はしゃっぎぷりは間違いなく17歳のそれだった。
今後、コンスタントにグランドスラムで上位に残れるか。メディアとの闘いに負けないでほしい。
というわけで、美貌はこちらに。
【特集】【テニス】17歳シャラポワ、セリーナ破りウィンブルドン初優勝
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